私は熊本県熊本市の二本木というところの出身です。
両親は公務員で共働きだった為、祖母によく面倒を見てもらってました。
小さい頃から体は大きかったのですがおとなしく気の弱い子供でした。
剣道7段の祖父の道場で6歳から剣道を始めました。
とても厳しい祖父にびびり、小4の時に剣道を辞める為に野球部に入部しました。
この頃から性格も活発になり小6の時は生徒会長も務めました。
中学時代はスポーツ万能でしたが勉強はやった記憶がありません。
野球の名門校、熊本県立熊本工業高校に進学しました。
在学中は春1回、夏2回甲子園に出場しました。
2学年上の先輩には、広島カープ 前田智徳さん(現解説者)
私と同学年には、オリックス 塩崎真さん(現オリックス2軍コーチ)
などがいました。3年時、私の役目はチーフコーチでした。
人生最初の挫折を味わいました。
高校を卒業後、地元大手の熊本鶴屋百貨店に入社しました。
子供服売場・食料品売場・婦人靴売場などを経験しましたが、わずか4年で退社しました。
人生2度目の挫折を味わいました。
最後の異動先だった婦人靴売場でプロ販売員との出会いが
私にとっての最初の転換期だったと思います。
一緒に関わったのはわずか半年の時間でしたが、密度の濃い時間でした。
その方の紹介で大手婦人靴メーカーの社長を紹介していただきました。
当時年商120億の社長のエネルギーは強烈で
「君は、サラリーマンには向いていない。すぐに独立しなさい。当社の店舗オーナーをやらないか?」
といきなり言われました。
次に
「最初から売れる店舗はやれない。一番売れてない店舗で自分の力を試してみなさい。」それが、徳島県にある百貨店でした。
過去の売り上げは、ほぼ無いに等しい数字でした。
当時22歳
地元の大企業をやめ、親父とは大げんかをして出てきました。
もう熊本には帰れない。
これで成功するしかありませんでした。
自分自身に負けたくありませんでした。
がむしゃらに働きました。
個人事業主としての13年間での休みは1月1日のみでした。
体重は20kg減り、正直よく死ななかったと思います。
業績は1店舗で年間3億円を達成するまでになりました。
個人事業主といえ、FCの為雇われている状況とあまり変わりはなく限界を感じていきました。
せっかく育てたスタッフも雇用の安定の問題で辞めていく者もいました。
人生3度目の挫折を味わいました。
「まだまだ、ここで負けられんばい。」自分自身を毎日奮い立たせました。
私は、プロ意識の高い販売員が自信を持って働ける環境作りが必要だと強く思いプロフェッショナル集団の会社を作ることを決心しました。
会社を設立するにあたり、まず3年間はドイツの整形外科的技術(オーソペディ理論)を学びました。私自身が今までの靴販売から学んだ経験と新たな足の専門知識を身につけ融合した形、プロフィッター理論が完成しました。
39歳になり会社を設立しました。
いろいろな方のご協力により現在、全国の百貨店でFOOTPRIDE〜プロフィッターのいるお店〜をSHOP展開しています。
足と靴の専門企業としてますます精進していかなくてはならないと思います。
そのためには、一人でも多くのプロフィッターを育成することが最も重要だと考えています。いい人材が育てば道は切り開いていける。
社員満足度日本一を目指していきます。
100年200年と続く企業を目指していきます。
ビジネスをするのではなく商いをすることを常に心がけた会社づくりをしていきます。
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